野外実験生態学入門


-生物の相互作用をどう調べるか-

ネルソン・G・ハーストン著

堀道雄・中田兼介・立澤史郎・足羽寛訳

蒼樹書房より96年12月10日刊行


目次

まえがき

日本語版への序文

謝辞

第1章 生態学の課題と研究方法

第2章 生態学の実験計画における必要条件

第3章 生態学の実験におけるトレードオフ

第4章 森林における実験

第5章 遷移途上の陸上群集における実験

第6章 乾燥した環境での実験

第7章 淡水環境における実験

第8章 海洋環境での実験

第9章 野外実験から得られる結論

補遺 最近の野外実験の動向

訳者あとがき

参考文献
人名索引
事項索引
種名索引


訳者あとがきより抜粋

本書は、Nelson G. Hairston, Sr. 著 "Ecological Experiments -Purpose, Design, and Execution-" (1989)の全訳である。著者はノースカロライナ大学の生物学教室の教授で、サンショウウオの研究者として知られる。その研究は本書でもしばしば触れられているが、アパラチア山脈のサンショウウオ類の種間関係とギルドの構造を調べた長期の実験的研究は有名で、これは"Community Ecology and Salamander Guilds"(1987)という本にまとめられている。

本書は不思議な魅力に満ちた本である。そのメインテーマは二つある。一つは、もちろん生態学における実験、それももっぱら野外実験の解説である。野外実験のなかでも特に種間相互作用を扱ったものに焦点を絞り、そこでの課題、実験計画と遂行上の問題点、そして主な生態系ごとにそこでの実験の成果と批評をまとめている。生態学の教科書や研究法の概説書としては、すでにいくつかの優れたものが出版されており、日本語で読めるものも少なくない。しかし、教科書で個々の研究が紹介される場合、それぞれの研究の結論とその意義の解説が主になる。また、それぞれの研究成果は、食う-食われる関係とか種間競争とかの、問題とする生態的現象ごとにまとめられることが普通である。一方、本書の解説の視点とまとめ方は、これらの教科書とはまったく異なる。ここでは、各実験の計画と手法の紹介に力点が置かれ、その研究がどのように遂行され、結論の導き方にどんな問題点があったのかが詳しく論じられている。また、それぞれの研究例は、それが遂行された生態系ごとに、そして対象動物が属する栄養段階ごとにまとめられている。このような解説と構成はまったくユニークで、それがこの本を他に類のないタイプのものにしているのである。
従って、教科書として見た場合、本書が対象にしている主な読者は、実際に野外研究を始めたか、これから始めようとしている若い研究者や大学院生、および何かの課題研究に取り組もうとしている学部学生であろう。そうした読者は、計画している生態系のそれぞれの生物を対象として行われた実験の例を見つけることで、これまで野外でどのような課題が扱われてきたか、野外実験を行うに当たって、どのような点に注意しなければならないかを、具体的に学ぶことができるに違いない。しかも、そうした研究を行った先達がどのような困難に遭遇し、どのような工夫でそれを解決し、または失敗したのかも、具体的に知ることができるので、その点も大いに役立つに違いない。訳者の望みは、そうした若い方たちに、研究、特に野外生態学というものが、いかにダイナミックで、しかも研究者の個性が発揮される場であるかを知ってもらい、そして野外研究の醍醐味を味わってもらうことである。
もちろん、すでに野外実験を行っている研究者や、他の分野で研究している人たちにもこの本は役立つに違いない。さまざまな生態系での研究例を知ることで、私たちは、自分の専門外の環境や生物の生態を知ることができる。そして先行研究の、計画段階での問題点、フィールドでの苦労、データ解析と、結果ではなく研究の経過そのものを追体験できるのである。5つの生態系を1冊で体験できるのもこの本だけであり、日本では馴染みのうすい乾燥地帯の実験などは、特にこうした追体験の価値が高いであろう。

しかし本書の魅力はそれだけではない。この野外実験についての解説を縦糸とするなら、横糸に相当するメインテーマもまた重要な主張を展開している。それは、生物群集ごとに、そして栄養段階ごとに、主要な種間の相互作用は異なるという著者の主張である。この主張の意味を理解するには、生態学の歴史を少しひもとく必要がある。日本では、著者、Hairstonの名はサンショウウオの研究者としてよりも、HSS仮説(Hairston, Smith & Slobodkin 1960)(第1章参照)の提案者としてしてよく知られているだろう。本書もこの仮説と無関係ではない。むしろこの仮説の延長線上にあると言ってよい。生態学では1950年代に、個体群の調節機構に関する気候学説と生物学説の間の激しい論争(「まえがき」参照)があった。HSS仮説はこの論争の後をうけて、主に森林の生物群集を念頭に、その論争において主張された2つの要因のうち、どちらが重要かは栄養段階ごとに異なるという主張を展開したもので、いわばその2つの学説を統合する試みであった。当時の学会の雰囲気、すなわち現象の理論化をともかく歓迎する雰囲気に合致した面もあるが、HSS仮説の論点は新鮮であった。この仮説が著者たちの名前の頭文字をとったニックネームで呼ばれたこと自体、当時の学会に与えたインパクトの大きさを示している。
しかし、この仮説は必ずしも発展しなかった。本書でも触れられているが、その後の15年間、生態学の研究をリードしたのは、「群集」は種間競争によって組織化されているという「群集理論」と数理モデルを駆使する手法である。HSS仮説の著者たちも、いくつかの論説は発表しているものの、この仮説自体を発展させるような具体的な研究は行っていないように見える。では、HSS仮説は、そのまま立ち消えになったのであろうか。確かに明確な形では学会の動向を左右するほどの影響は与えなかった。しかし、群集の比較や栄養段階の違いを問題とした論文の多くが、HSS仮説に言及していることからもわかるように、Hairstonたちの問題意識は多くの研究者に共有され浸透していった。そして、Hairston自身は、その問題意識を暖め続け、群集の各栄養段階でどのような種間相互作用が重要となるかを、さまざまな環境条件で検討する作業を続けていた。その成果が本書である。本書では、5つの大きな生態系ごとに、そして各栄養段階ごとにどのような種間相互作用が卓越するかがつぶさに検討されている。これは、いわば生態系ごとのHSS仮説の構築と言える。
本書が出版された80年代後半は、興隆を続けてきた「群集理論」に対して多くの批判と見直しが始まり、その結果、群集を形づくる原理は群集ごとに異なるとする多元的な群集観が台頭してきた時期でもある。このように歴史を振り返ってみると、今後の生態学の展開における本書の極めて現代的な意義が見えてくる。本書は、その多元的な群集観を、具体的な研究の結果を整理する形で実証しようとする壮大な試みなのである。もはや、森林の植食性昆虫間の関係と岩礁海岸の固着性生物間の関係を種間競争という観点だけでまとめてしまうには無理があることは明らかで、環境ごとに、また栄養段階ごとに、主要な生物の相互作用は異なるという主張には強い説得力がある。そして、それらの相互作用の働き方を環境の特性に対応させて整理し、それぞれの群集を全体として理解しようという方向は極めて正当な提案に思える。
21世紀を目前に控え、群集生態学はいよいよ「種の多様性の維持・促進機構」という巨大なテーマに立ち向かおうとしている。各地域の生態系を総合的に理解するために、それぞれの群集とそれを群集たらしめている相互作用のあり方と重要性に関する論議は、今後ますます盛んになってゆくだろう。本書は、このような今後の展開のスタートラインを示しているのである。

1996年6月          訳者を代表して    堀 道雄